2014年8月アーカイブ

前号では、文書化コンサルタントの開米さんと「なぜイエスマンが出世してしまうのか?」を考えているうちに、普通の会社にとってはイエスマンのほうが会社の成長には役に立っただろうな、ということに気がついた話を書いたところでした。

 

開米:イエスマンのほうが会社の成長には役に立つ、というその理由はなんですか?

庄司:会社が成長するためには、いろいろと新しいことを工夫してやっていかなきゃいけせんよね

開米:そうですね。で、現場がその工夫を提案してきたときに、社長のほうしか向いてないイエスマンだと「前例がないからダメ」とか言っちゃうという話ですよね

庄司:その話の本質は何かといえば、要は「新しい試みに対する抵抗勢力になっちゃう」ということなんです

開米:はい、それで・・・?

庄司:で、今までは現場の工夫に対して上役が抵抗勢力になるケースの話をしてましたけど、逆の場合もありますよね

開米:逆というと・・・

庄司:社長が新しいことをやろうとするのに現場が動かない。で、課長部長役員クラスが現場に肩入れして抵抗勢力になっちゃうケースです

開米:ああ、それはありますね。現場に対するイエスマンになっちゃうわけですね

庄司:そういうことです

開米:言われてみると、社員ほとんどの大反対を押し切って社長が独断で進めた構想がその後大化けした、なんて話よくありますね。今は有名な大企業になった会社の創業期とか成長期の社史にもよく見かけます

庄司:そうなんですよ。特に中小企業の場合、社長がどんどんそういう「新しい試み」の牽引役にならないと成長できませんから。そんな時期に役職者が現場と一緒に抵抗勢力になってたら無駄な時間がかかります

開米:なるほど・・・

庄司:致命傷になるような失敗でなければ多少しくじったってかまわないので、思いついたらやってみて、ダメならすぐに次の手を打つ、というスピード感が大事なわけですよ。何度も試してみれば情報も集まりますし、うまい方法が見つかるのも早くなりますからね

開米:そういう時期には、社長に対するイエスマンのほうがいい、と?

庄司:ということです。

開米:それは社長が変革の推進役として有能であることが前提ですよね?

庄司:そうですね。まあどのみち社長に能力がなかったら会社は潰れますから。社長は有能である、という前提でいいじゃないですか

開米:社長が有能だったら、役員以下の役職者はイエスマンなほうが会社は成長できるということですか、うーむぅ・・・

庄司:ただ、いつまでもそれじゃいけないんですよ。いつまでもそのままだと、現場がアイデアを出すようになってきたときに、社長のほうしか向いていないイエスマンが抵抗勢力になっちゃいますから

開米:ああ、それが今起きてる状況なんですかね? 「あいつ、使えねえ」と現場に酷評される役職者が多いというのは・・・・

庄司:ということだと思います。

開米:なるほど。じゃあ、前提条件が複雑になってきたのでちょっと整理してみましょうか。

 

  (長くなりましたので続きは次号で)

 

中小企業を中心に営業チーム強化のコンサルティングを行っているわたしですが、誰でも知ってるレベルの大企業から研修を依頼されることもあります。先日も某有名企業の新人マネジャー研修の打ち合わせに行ったのですが、そんなときにものすごく気になることがあります。それは、

 

部下や現場から、陰でダメ出しされている役職者が非常に多い

 

ということです。「役職者」と言ってもいろいろですが、部下10数人の営業所長クラスから大企業の役員まで、中小企業なら社長の下のNo.2も含みます。ある程度現場から離れた「偉い人」に対して、現場の人たちからは「あいつ、使えねえ」という目が向けられていることが非常に多いんです。

 

あまりにもそれが多いので、以前もこのメルマガで登場した文書化コンサルタント、開米さんと議論をしてみたところ、なかなか意外な発見をしてしまいましたのでその話を書きたいと思います。

 

開米:「あいつ、使えねえ」というのが現場の声ですか、なーかなか手厳しいですね。具体的にどういうところが使えねえ、なんでしょうね?

庄司:一番多いのが、現場が何か新しいアイデアを出すたびに、前例がないからダメだ、とか言っちゃうタイプですね。

開米:新しいことやるのに前例もクソもあるかボケ・・・なんて言っちゃうわけにはいかないんでしょうね。

庄司:陰では言ってるかもしれませんけど(笑)、そういう前例主義の人でも一応上司ですからねえ。副社長の場合もありますし。

開米:で、そういう人が抵抗勢力になっちゃうわけですね。

庄司:そうなんです。

 

いろいろ話しているうちに、そういう「抵抗勢力」は要するにイエスマンである、ということに気がつきました。


開米:なるほど、社長に対してはイエスマンで、現場の提案はとりあえずノーと言っておくタイプですね。社長の機嫌を取るのに熱心で現場のことは見てないというか(笑)

庄司:そうですねえ、不思議なのは、どうしてこういう人が役職についちゃうんだろう? ってことです。私が在籍していたリクルートはそういう会社じゃなかったんですが、一般の日本の大企業ではこういうケースのほうが多いみたいなんですよね。

開米:それは何か理由があってそうなったんじゃないかという気がしますけど。一般の大企業でイエスマンが役職についちゃうのにも、リクルートがそうじゃなかったのにも、どちらもそれなりに合理的な理由があった、とは考えられませんか・・・?

 

そう聞かれてあらためて考えました。なにしろ自分がいた会社なのでリクルートのことはわかります。リクルートは、新しい事業、それまで存在しなかった新市場の開拓をやり続けてきた会社なので、前例なんてないのが当たり前でした。以前書いたように、新人メンバーも含めて全員でアイデアを出してどんどん試してみる、そんな空気が全社に浸透していました。

 

庄司:・・・あ、そうか。イエスマンのほうが役に立つんだ。社長にとっては。

開米:おお! それはいったいどういうことですか?

庄司:リクルートみたいな変わったとこじゃない、普通の会社にとっては、イエスマンのほうが会社の成長には役に立っただろうな、と。その理由に思い当たったんです!

 

  (長くなりそうなので続きは次号で)

1991年に公開された「フック」という映画があります。

 

おとなになって飛べなくなってしまったピーターパンの話で、タイトルのフックとはフック船長のことなのですが、わたしはこの映画が忘れられません。

 

監督はあのスピルバーグで、大のピーターパン好きなのだそうです。

キャストも演技派をそろえ、おっさんピーターをロビン・ウィリアムズ、フック船長をダスティン・ホフマン、そして妖精のティンカー・ベルを「プリティ・ウーマン」のジュリア・ロバーツが演じています。

 

かんたんにあらすじをお話しすると

永遠の少年だったはずのピーターパンが40歳になり、アメリカの企業付きの弁護士として猛烈な激務をこなしているという設定です。

仕事に熱中するあまり家庭を省みず、妻や長男との関係は冷え込んでいます。

 

そんな一家が祖母のウェンディのいるイギリスに里帰りした晩、子供たちが何者かに誘拐されてしまいます。誘拐犯が残した脅迫状には、なんとあのフック船長の名前が記してあったのです。

 

途方に暮れるピーターにウェンディは、あなたこそがかつてのピーターパンだったのだと告げます。

しかし、記憶を完全になくし、自分がピーターパンであったことなどすっかり忘れてしまっていたピーターは、にわかに信じることができません。

 

そこへ突然妖精のティンカー・ベルが現れ、さらわれた子供たちを救うために半ば強引にピーターをネバーランドへと連れていくのです。

 

ネバーランドに暮らす迷子たち(ロストボーイ)は、かつてのヒーローであるピーターパンが帰還したことを聞き大喜びしますが、目の前に現れたよれよれの中年男に落胆し、再びヒーローのピーターパンとして復活させるために特訓を始めるというストーリーです。

スピルバーグの映画としては地味な部類に入るかもしれませんが、わたしがこの映画を見たのがちょうど30歳をすぎたあたりのころで、そのときの自分の心理状態にものすごくマッチしたのでしょう、強烈に印象に残ったのです。

当時のわたしは、リクルート(一度め)をやめて自分で事業をはじめてはみたものの、うまくいかずに1年ちょっとで廃業し、その後、生活のために就職をした通信系の会社につとめて3年がたったころでした。

 

「おれはいつまでもサラリーマンなんかやってない、やりたいことをやるんだ」とイキがって独立したのに、世の中のきびしさと自分の未熟さだけを思い知らされ、生活のためになんとなく毎日を過ごしているような時期でした。

世間的にも"おじさん" と言われる30代に入り、自分がどんどん輝きを失くしていくように感じていたのだと思います。

 

飛べないピーターパンが、自分のことのように思えて仕方がなかったのです。

 

この映画の中で、今でも忘れられない言葉があります。

 

いくら特訓をしてもグチと言い訳をするばかりでいつまでたっても飛べるようにならないダメおやじのピーターに業を煮やした迷子が叫んだその言葉とは・・・

 

「ピーター!楽しいことを考えて!

楽しいことを考えると飛べるんだよ!」

 

それはまるで自分に言われているかのようでした。

 

"楽しいことを考える" 

 

わたしは、今まであたりまえだったそんな一番大事なことを忘れかけていたのです。

そのことに気づいたときのショックは体が小刻みに震えるほどでした。

 

子供たちが元気いっぱいでパワーに満ち溢れているのはいつも楽しいことを考えているからです。

 

なのに大人になるといつのまにか忘れてしまう。

楽しいことを考えるのはいけないことのように思ってしまう。

みんな飛べないピーターパンになってしまうのです。

 

大きな目標を成し遂げられるのは、つらいことに耐えるからではありません。

楽しいことを考えているから、きついことも平気で乗り越えられるのです。

それが仲間といっしょならなおさらです。

 

営業コンサルタントとして企業と関わっていると、飛べないピーターパンにたくさん遭遇します。

 

仕事はイヤイヤやるものではありません。

大きな力を発揮して、何かを成し遂げるために一番大事なことは楽しいことを考えることです。

 

"楽しいことを考えて!"

 

わたしは、今でも飛べなくなりそうなときにはあの言葉を思い出すのです。

 

追記

 

この原稿を書いているときに、なんとロビン・ウィルアムズさんが亡くなられたとのニュースが入ってきました。ご冥福をお祈りします。

夏休み中、もしくはもうすぐ夏休みという人も多いかと思いますので、今日はこむずかしい話はやめて軽めの話をしましょう。

 

夏休みになると、テレビでは毎年恒例のように「スタジオジブリ」のアニメ作品を放映します。

 

わたしは子供がいないので、ことさらジブリの映画を見るということもないのですが、ちょっと気になる作品があります。

 

それは「となりのトトロ」です。

 

この作品だけはどういうわけか何度も見る機会があり、しかもそのなかでどうしても泣けてしまう場面があるのです。

 

「えっ! なんでおっさんがトトロを見て泣くの?」と思われるでしょう。

 

もっともです。大人はもちろん、子供だって泣くような作品ではないですもんね。

 

ストーリーについては今さら説明の必要もないと思いますが、ものすごく簡単に言うと、田舎の古い一軒家に引っ越してきたサツキとメイの姉妹が森に棲む「もののけ」のトトロに出会う話です。まじめで優しいお父さんの声を糸井重里が担当していてこれがまたぴったり。お母さんは少し離れた病院に入院しています。

 

一般的にこの作品の主役として認識されているのは妹のメイでしょう。

 

4歳のメイはちっちゃな体で走り回りおもしろいものや不思議なものを見つけると「ガッハハハ」と豪快に笑いながら、好奇心を丸出しにして追いかけ回します。

 

やんちゃで、わがままで、その表情や動きは子供らしい躍動感にあふれていてなんとも愛嬌があります。トトロに最初に出会うのもメイです。

 

それに比べてサツキはちょっと地味な存在です。

やんちゃなメイをときにはなだめ、ときには叱り、お姉さんらしくしっかり面倒を見ています。

まわりに対しても、自由奔放にふるまうメイとは対照的に「メイをよろしくお願いします。」「メイがご迷惑をおかけしました。」と、小学生とは思えない礼儀正しさで大人たちを感心させます。

 

メイが出会ったというトトロに「わたしも会いたい!」というときの弾んだ声や、雨のバス停ではじめてトトロに会ったことをお父さんに報告するときのはしゃぎっぷりにはサツキの本来の子供らしさが透けて見えますが、お母さんが帰ってくるまでは自分がメイを守らなければという気持ちが強いのでしょう。

 

「もうすぐお母さんが帰ってくる、もうすぐお母さんに会える。」

 

それだけを楽しみに、一生けん命大人として振舞おうとしています。

 

お母さんの一時退院をあと数日に控えたある日、近所のおばあちゃんのもとに電報が届きます。内容はお母さんの体調が悪くなり一時退院ができなくなった というもの。

 

わたしが泣けてしまうのはこの場面です。

 

その報を聞かされたサツキの心を言い知れぬ不安が襲います。

 

「どうしよう、何かあったんだ・・・」

 

おばあちゃんの「だあいじょんぶだよお、たいすたことないがらあ」という言葉も耳に入りません。

 

「どうしよう、お母さんが死んじゃったら・・・」

 

サツキの表情がみるみる崩れていきます。

口がへの字にまがり顔がくしゃくしゃになり、そして、ついにこらえきれずに「うわあああん」と大きな声で泣き出すのです。

 

おばあちゃんの胸で泣きじゃくるサツキを見て、それまでの大人びた様子とのあまりのギャップにサツキがいかに無理をしていたかが痛いほど伝わってくるのです。

 

サツキだってまだ小学生なのです。

 

その健気さに思わず感情移入しまい何度見てもわたしはこの場面で泣けてしまうのです。

 

その後、お母さんに会いたくて遠く離れた病院にたったひとりでトウモロコシを持って行こうとしたメイが道に迷い行方不明になってしまい村中が大騒ぎになります。

 

思い余ったサツキがトトロに助けを求めに行くと、そこには大っきなおなかを上にして寝そべっているトトロがいます。

「メイを探して」と訴えるサツキの顔をじろりと見たトトロは、黙ってニッカアと笑うと、サツキの肩をガッシリと抱いて空に舞い上がり、「モアアアァァァッ」という地響きがするような叫び声をあげてあのネコバスを呼ぶのです。

 

行先のパネルに「メイ」と表示されたネコバスは、大人には見えない疾風怒濤のスピードで村を縦断し、あっという間にサツキをメイのもとに届けます。

 

抱き合って再会を喜ぶふたりを乗せたネコバスの行先パネルが、今度はお母さんが入院する「七国山病院」へと変わります。

 

病院では様子を見に来たお父さんとお母さんが、空のネコバスから見ているサツキとメイには気づかずに、なごやかに話しをしています。

 

このときの会話がまたグッときます。

 

お母さん「子供たち、きっと見た目以上に無理をしていると思うの」

お父さん「そうだね。」

お母さん「特にサツキは聞き分けがいいからよけいにかわいそう・・・」

 

おおおぉぉっ!さすがはお母さん!

 

わたしはお母さんのこのひとことでものすごく救われた気になるのです。

そして、同時にこの作品の奥深さを感じてしまいます。

そうです、サツキというキャラクターグッズにはなりにくい地味なキャラクターを、宮崎駿監督はもう一人の主役としてしっかり描きこんでいるのです。

 

もしかすると、多くの人は気にも留めていないようなシーンかもしれないのですが、わたしにとって「となりのトトロ」という作品はこのシーンのためにあるように思えるのです。

 

なんで自分がこんな気持ちになるのかよくわからないし、そもそもとなりのトトロを見て泣いているおっさんもいかがなものかとは思うのですが、世の中にはサツキのように目立たないけど責任感があって献身的な人がたくさんいるのだと思います。

 

わたしは「自称アーティスト」や「自称プロサーファー」みたいに、「自分は自由奔放に生きてます。どうです?かっこいいでしょう。」みたいな人たちより、こうした地道でまじめな人たちのほうが好きなのかもしれません。

 

自分がはたしてまじめかどうかはわかりませんが、少なくともまじめにがんばってる人たちがちゃんと報われる会社や社会であれと願う今日この頃なのでした。

 

では、みなさん、楽しい夏を過ごしてください。

 

※作品に関する描写やセリフはわたしの記憶で書いていますので、多少ちがっている部分もあるかと思いますが、ニュアンスが大きくずれていることはないと思いますのでどうかご容赦を。

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